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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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0303

アルバカーキー最後の朝、アラバマ州への長いバス移動の日である。
朝食後、ニューメキシコ州をコーディネイトしてくださったマークさんにお礼の千羽鶴を渡す。こんな時は、皆で、必ず

Dear Friends Dear Friends
Let us tell You How we Feel
You given us such pleasure
And we Love you so

私たちは、もう200回近く この歌を歌っている。そして今日は、マークさんへ有難う。ウオーカーがつくった円陣の中マークさんが、去るか去らないかという時、待ち切れない様子で、ナッチョさんが、力強く話を始める。話ながら涙ぐみ、聞き手も涙えを浮かべている人達がいる。Jun(純)庵主さんによると、本名はわからないが、皆がナッチョさんと、呼んでいた人は、2日前、アルバカーキーの街を行進中、突然、家の中から飛び出して、庵主さんに抱きついたそうである。

以前「Walk for justice」という行進で一緒に歩いた間柄で、太鼓と御題目に気づいての行動のようだが、その再会の奇遇さもあるが、相当に強い思いがあると感じられる。

ニューメキシコ州からテネシー州にグレイハウンドバスで移動する朝、ニューメキシコ担当のオーガナイザーのマークさんが遠くから駆けつけてくださった

ナッチョさんはメキシコのチアパスでネイティブの方々を支援しているという。メキシコから抑圧を享けて、軍隊により多くの犠牲を払ってきたが、非暴力的な戦いを続けている。10年以上も。「その中で、危険な目に沢山あった。けれども不思議と命が助かった。それはあなたたちの祈りのおかげで、そのエネルギーが私たちを救っている。」祈りを通じて、私たちがつながっている事を、つながり得ることを、伝えに来てくれた。
有難うナッチョさん。

この日、バス停留所まで 1時間行進し、11時過ぎに長距離バスの乗った。
5回等乗り替え。明日午後3時過ぎ、アラバマ州ハンスビル到着予定。

GEKO