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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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◎4:30分に起きると、トムも信吾もおきていた。
身のまわりをかたづけた後、無意味にもみえる英語の勉強をして、火をお勤めの場所に移動させ、そのまま5:45を待っているととなりでギターの音がする。パッとふりむくとギターをひいてる。いてもたってもいられず、しかし飛びつくわけでもなくニコニコするしかなかった。
お勤め、今日は、「皆が無事で楽しく歩いていけますように」と、「今日も皆を(僕を)導いてください。ガードしてください」とあつかましくお祈りをした。お勤めが終って朝食は焼きたてベーグルだ。ありがとうございます。窓の外を見ると、雪が吹いている。さむそうだ。ok。そのあとサークルをくんでよろしくとありがとうをした。

Nisqually Hation のリザベーションの建物(出発地点)にて高齢のJanetさんを囲んで話を聞く

◎車で移動すること一時間、Nisgually nation のリザベーションの中にある、バスケットコートのある建物に入る。かべには、「Nisgually Indian Tribe」とある。
そこで、Janet Mcrain さん(たぶん)スペルがわからんけどが WALK へのお祈りをしてくださったもうけっこうお年のようで、若い(といってもおばさんとよばないくらい)女性に手を引かれて Janet さんがこられた時、Janet さんは目が見えないのかと思った。体調がいいとはとても思えないしかし、その体をここにもってきた彼女の祈りに感動した。彼女に握手を求めたら快く応じてくれた。やわらかい手だった。
そのギャザリングで女性のうたを聞いた。力強い声、鼓舞されるかのように血液がさわぎだした。

昨日の Takoma Dome の新聞記事を持つべックさん

◎そうこうしているうちに出発は10時ごろになる。すごくきれいな野性の森に囲まれた道を通り、昼食は「WA HE LUT Indian School」で頂くその前のサークルで、1978年のロンゲストウォークを歩いたジンボさんという方が力強い声で Nisgually River の説明をしてくれた。よくわからない自分が悲しい。
そしてうたをささげてくれた。パワフルだった。とても。

Nisqually Rive(聖地)に向かう道

昼食後の WALK は、まず、Nisgually River の湿地帯に着いた。
こんなきれいな湿地帯ははじめてだ。歩いた道も作られた道だ。
虹が見えた。太い虹だ。と思ったらただ一本じゃなかっただけだった。
皆サークルになりタバコを手につかむ。人数は47人。ジンボさんは、
ここでも僕らを激励してくれた。この河にタバコをささげた。

この湿地帯からはなれるとき再び虹を見た。
WALK は、Chief Lesohi が殺された場所に向かう途中でおわった。

宿泊地は Saint Martin Collge のドミトリーとは名ばかりの立派な宿舎だった。今日もありがとうございました。

明日も皆無事にたのしく歩いていけますように

Seiya(聖夜)