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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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昨夜はジューイッシュセンターでジューイッシュDanceをみんなでおどり、ステキな夜をすごした。ありがとうジューイッシュセンター。そして私たちはまた出発した。

今日は、キャリーが帰る日だ。ありがとう、たのしい笑顔とKIRTRAND AIR FORCE BESEにてViSiLをする。シェアリングを。16マイル歩き、夜、コレッタさん(ドロシーさんの娘さん)のセレモニーが行われた。コレッタさんFamilyは、インディアン料理をつくってくれて、親せきのインディアンの方々も、友人もたくさんこられた。

私は広島のウオークの時にドロシーさんメディスンバックと一緒に歩いた。そして、今晩、改めてドロシーさんを知る事になった。亡くなるすんぜんに、広島の被曝者の方と出会い、自分の病気が、広島の被曝者の方と同じ、核からだという事と知ったドロシーさん。日本だけでなくアメリカにも、そして最も インディアンの人々の土地からうばいとったウランで核がつくられた事。インディアンの人々は自分の土地からでたウランで被曝している事実。絶対に許されないおきてを人間はやぶったんだと感じる。でもあやまちをみとめ、許しあい、新しい意識の世界へ入っていかなければいけないと思う。私は。

KIRTLAND AIR FORCE BASE にて祈りを持つ   この写真を撮影中に別の角度からの写真を撮りたいいため歩道から車道に出るなり守衛のアーミーが怒り狂って警告してきた

コレッタさんFamilyの方を前にして、彼らの悲しみは私の心にずしんと入ってきた。私はドロシーさんを実際に知らないけど、知っている。なぜなら一緒に歩いたからだ。涙があふれてきた。彼女のスピリットは一緒にいたんだと今夜はじめてきちんと感じた。コレッタさん親族のインディアンの方々のインディアン SONG が天国にいる、ドロシーさんにとどいたと感じた。私たちは、また原爆の事実と、2度とくり返してはいけないという事を強く感じた夜だった。明日は、日本人の仲間、SeiyaとKAKOが去っていく。日々、誰かが去って 誰かが入ってくる。必要なタイミングで必要とされる人が、いれかわっているのだろう。

Thank you

Mallika ☆

オミタクエシン
ミタクエオヤシン