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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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豊かな物質生活をささえるエネルギー。善意と悪意の墓標。
それが必要不可決な人の世。ケアする人々。何も知らない住人。
帰る振り子。真綿首。ネイティブ・アメリカンの人達の母なる大地。
権力と金に盲目のマリオネット。未来を生きる子供達。
もどる事のない時間。おろかで哀しいストーリー。
グルグルする。

ワシントン州のオーガナイザーである David さんが勤めるフリースクール(PSCS)の教室にてギャザリングを行う。生徒 & 先生 & 生徒の親 & 地元の方々 & Walker

ピース・ウォーク。平和を意識し、考察し、実行しようとするがゆえに、かようにも品行方正に道はたどられるものなのか。
自由と多様性と智性。人の中に流れる自然からの望ぐみ。

自身のからは、いか様にも逃がれるすべもなく、あえぐ姿に、少し疲れる。活達なやく動の中にも全ては流れる。歩みの今はシアトルセンター。昔の万博会場。この文は歩きながら書いている。

ビッグスピリットの継がりかネイティブ・アメリカン(NA略)な人が多い。在存感が違う。眼ざしが違う。波動が切れる。今見掛けた人はメディスンマンなのかな、なんて素敵な人なのだろう。そんな人が多い。きっとトム・ダストウさんの在存が大きく関わっているのだろうか。

イスラム原理主義は "ジ・ハード" と言い、ブッシュ初め、ある特定のカテゴライズな人々は "クールセダース" と言って、血をこのむ。日本では天孫族が神を、仏教を…。世界中で同じパターンの戦いが偉大なる在存の名を借りて、血を血で洗う。ヤバイ。ヤバイ。こんな話し。でもなぜ ? シンプルクエッションを、となりの女性になげかけたら、 "道の上は車が往来する。
あぶないから、歩道に来て祈りなさいと…。それで私は想った。

"作為的に編集されるのが歴史なんだと。今は今である時なんだと。" はく害された地球や宇宙を含むスピリット達、世界中の先住民達、多数を占める異教徒達。家族を愛し平和を願う井戸の中の梵夫達。動植物の名もない命達。哀しいくらいに平和と幸せと、豊かさと、信心の、裏がまぶたに浮ぶ。行きつく先は、人の姿を知らぬ人の姿。ものさしなき、いやあっても同じか…。

自分の行動が正しいと、信んじたいと、誰れでも思考し生きている。
自分を投映する対象が必要な人は多い。
正義とはそんな所からも生まれるのではないか。
道にたむろする多くのホームレスの中をピースウオークは歩く。
かくも仏や神はいそがしく、そこにおられたとしても、ぞんざいに人に振りまわされておられるのであろうか。
今を生きる人間は帰る大地もなくしたホームレス同様とは私だけの意見だろうか。

私はアナーキストではないが、平和を考え、探し求めて体現するにはあまりに力なく、あまりに遠い道のりが、人の命の道には、その方向としてはあるのかもしれない。近道を知り出来、道案内が出来る人もあげくは渦の中、銀河の星となるのかなと思ってしまった。喜びから生まれた祈りは、悲しみより生れた祈りと、意識の中で何を映し合うのであろう。あるいは、フリーコンシャスネスの中で宇宙と同化する道をたどるのか。

腹にすえる人は便秘になり気分が悪くなる。そのうちに鉄砲水が渦をまく。ただ歩く事すら難かしい事を知る。

『平和は矛盾を解決するのではなく、全ての矛盾のハーモニーに己が有りと同時に全てがあり、愛を超越した愛を試みる事なのかもしれない。条件は "NO WAR" "ONE EARTH" のイメージは少なくとも、そんな特別な生ではないと思う。ただ長い歴史の中で希有なだけだ。

今日はシアトルの街を歩いて一周している。この文章を書くキッカケをくれたシンゴとセイヤに感謝する。ただサリーの直観として、この記録は誰の目に振れる事なく作為的に処理されているであろう。

母なる大地は今ここ、実は足の裏にもあった。
The wing Luke ASIAN Museum に着く。
人をしいたげる事、人を殺す事、人を支配する事なにより格差を求める事でデッチ上げた歴史の表舞台がそこにあった。スタッフの方がアジアの人にぜひ見てほしいとの申し出に新ためて、血を流す事のない地域のあり様の理(ことわり)を見た思いがする。

しかしアメリカはその辺はしっかりミュージアムなり、賠償なりしっかりしているな。日本なんて外国人労働収容所しかりなにかと尻タレだと、あらためて日本人の私はくさってしまう。

我の無力を嘆げく事もないと思う。その事に気付き、無力である事からこう定され、一歩進んだり、さがったりが、そこにある事、表われる事だと思う。無力、無気力もある種の力(静をみちびく)エネルギーであり、ムダに消費される事のない循環の内にある事に気付きの路の山を成し得る様に。

母なる大地は、ビックスピリットは、神は全てを受け入れ、全てを愛してくれていたのであろう。

科学や法がそれを迎えるまでは。人の本質は増加し、加速しながら連鎖する時代に、それは幻と成りかすんでいる。
人とゆう、しんきろうの中に。ただ人は人だけで独立しているとは思えない。
宇宙のバランスの変化の影響も受けているはずだ。

カソリック教会、Mark's Cathec で休憩。もし私たちの願いが全人類の願いであり、聞きとどけられるのなら、全ての偉大なる存在に、折りを捧げるでろう。
この一つの命は他の命と連動しているとすれば、祈る事で、一つの花が開く事もあるのだと信んじている。

命を大切にする必要がある。
我身一つをそまつにした末路、神風特攻の日本に原爆、パワーピープルのアメリカの原罪に何が起るのであろうか。
ネイティブアメリカンの人達は勇敢な人々だった様だがその人々の命と引き換えにこの大陸の生体系の破綻。

死を望んだり、迎えたりする事はその波動も連動し、波及するという事ではないのだろうか。
皆口にはしないが、人類が全生命と言えるくらいのたくさんが、この時代核によって、いなそれだけでない無数の可態性によって大きく変わる高い可態性に直面し、増えている時代。

人類の本質と平和とピースウオークにフォーカスしている今日の記述だからかもしれないが、人は生きるガイドを失なって長く久しい。トムに会って、シアトルに来てるからかもしれないが。ただ、世界中のネイティブな人達がその英智を、わずかに伝えとどめている様に思えてならない。
ピースウォーク3日目にしてこの愛すべきなまくらな体は、ガタピシ言い初めた。
愛し続け痛みをこらえて歩き続けたい。
路なき道を、道でない道も。

以上、これらは私の勝手、気ままな散文で、誰の為でもない事を、付け加える。今日も色んな事があって、色んな事をやらかして、疲れました。


Have a good night !! LONG TALL SALLY