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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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Peace Walk 出発日、故マーチンルーサーキング牧師の誕生日。2002年、いよいよ、広島原爆の火、諸宗教合同巡礼の始まりとなりました。このウォークが現実化するに先がけて、下地を築いて下さった数多くの方々、また、火がアメリカへ渡るにあたって、この巡礼の趣旨を理解して下さり、快く火を託して下さった山本達男氏と星野村、また、惜しみない協力をしてくれた数多くの仲間たちに、そして、調和を願う方々の気持ちに感謝します。

ベイブリッジアイランドにある、スクアミッシュ先住民チーフシアトル埋葬地にて。出発前のセレモニー時には、約130〜150人集まる。地元TVも来る。ここに見られる木製の赤色にペイントされたものはカヌーを現す。

 

広島の火は約一ヶ月半をかけて、ここシアトルまで来ました。9月11日のテロ以降、航空、船舶、各方面にてテロに対しての警戒を強めており、火の輸送は困難な状態でした。しかしながら、唯一、四国は今治の田頭海運が輸送を引き受けてくれ、限られた時間の中、急展開に万事が行われる事態となりました。また、SOGAL の船長(韓国人)も温かく火を迎えてくれ、ご自身の部屋を一つ空けてくれ、毎日火の世話をしてくれたそうです。

火は2001年11月に山本さんの居る九州星野村を離れ、神戸港よりアメリカへ向けて海路にて出発。船はハワイ経由のメキシコ、マンザニーロ行きの貨物船で、偶然にもハワイに立ち寄る日程が12月6日のパールハーバーの日と重なり、後に分かった話であるが、田頭海運は、ハワイ沖でアメリカ海軍所属の原子力潜水艦に衝突され沈んだえひめ丸と同郷であった。

大陸上陸後の12月12日、メキシコでは、母なる大地の女神、ガダルーペの記念日と重なり、地元の人々から多大な歓迎と祝福を受けたという。そしてそのまま多くの困難を越え、陸路にて北米西海岸を北上し、1月12日にシアトルに到着した時には巨大な虹の出迎えも受けました。

 

火はこのように人の手から手へ、また、心から心へと明かりを灯しながら、自ら選んでここまで来たのかもしれません。そしてそれは、十方三世のつながる者達の平和を求める気持ちが形となって表われたのかもしれません。
AM.10:00 チーフシアトルの墓前には、約150名が集合し、発願者のトム・ダストゥ、安田純法尼を含む日本山妙法寺の僧の方々、スティーブ・リーパー氏、地元スクワミッシュトライブより数人のインディアン、等々、それぞれが、それぞれのスタイルで話をし、セレモニーを行った。日本からも数人のウォーカーと菊池ゆみさん、コカリナ演奏の黒坂氏らが参加。

その後、ウォークスタート。針葉樹林帯の中を約6マイル歩き、地元のコミュニティセンターにて昼食となる。インターフェイス(諸宗教)という事もあり、黒人、白人、黄色人、アメリカの原住民と、人種や宗教等、様々なバックグラウンドを越えて集まった人々がコミュニケーションを取る場ももたれた。このウォークには元軍人、原子力潜水艦の元乗組員、ハンフォード基地の元職員など、実際に核と関りを持っていた人々も何人かウォーカーとして参加している。

その後、約4マイルを再び歩き、ワシントン州サブマリンベースにて祈りの集会を持つ。このベースは全米でも1、2番の大きさを誇る核兵器の貯蔵私設を有しており、いつでも実践に向けて配備できるようになっている。(僕たち日本人には記憶に新しい、えひめ丸にぶつかった潜水艦もここの所属だという。広島の火がハワイを経てここに来たのも何かの因縁かもしれない)。また、このような土地だけに平和活動家のコネクションも強く、毎年、大規模なデモンストレーションが入口前にて行われたりもするらしい。グラウンドゼロは、この基地の核保有に反対している地元のグループで、日本山妙法寺との関係も深く、ウォーカー達を夕食に招いてくれ、広島の火を温かく迎えてくれた。
さて、ここワシントン州ベーンブリッジアイランドを皮切りに、これから核と核に関係する軍事施設と、それらを操る巨大軍需産業を巡礼していく事になる訳であるが、それに先駆けて、有名なチーフシアトルの言葉をもう一度思い出したいと思う。


チーフシアトルの言葉…
http://www.halcyon.com/arborhts/chiefsea.html

不思議な縁の絡み合いによって、流れは続いてゆく。暑さ寒さや宗教や人種や歴史や経済や、金や戦力、原子力、それら全てを乗り越えて、サイの角のように背と共に歩め。夜は日本山妙法寺シアトル道場にてお世話になる。ありがとうございました。


Shingo