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  平和の灯「こころ」 kokoro

PeaceWalkがずっと運んできた火は、もともと広島の原爆の残り火でした。破壊の火であったものが、愛の火に変容させたのは、祈りの力でした。この同じ力が、21世紀を調和の世紀に変える、と信じています。

■ 平和の灯「こころ」とは?
■ OPEN JAPANについて
  ■ 2001/12/31 「こころ」が長崎の誓いの灯と合わせられる
■ 2000/ 12/10 「こころ」の灯が広島に里帰り
■ 2000/ 10/13 出発地点での「こころ」の分灯
 
 
2000/12/31、3つの火が合わさった、平和の火


PEACE WALKが広島まで運んだ「平和の火」は、10月13日、神戸元気村の山田和尚さんから分灯を受けた、広島原爆の残り火「こころ」でした。この火は12月11日、広島平和記念公園にて「ひろしま2001」代表の奈良先生の手で、同公園にて灯され続けている「平和の灯」と合わせられました。この「平和の灯」は世界中から戦争がなくなる日まで灯し続けようと、日本各地から集められた火だと聞いています。

この2つの合わせ火をもって長崎まで歩いて来たのですが、長崎には、ナガサキを人類最後の被爆地にする「誓いの火」がありました。この火はギリシャより長崎の市民に対して贈られた、不戦の誓いを表すオリンピアの聖火です。オリンピアの聖火が灯される古代オリンピックの開催期間中は、どんな状況にあっても戦争を止めなければなりませんでした。この聖火を灯し続けることによってナガサキを最後の被爆地にしよう=全世界のどこにも今後核戦争を起こさせない、というナガサキ市民の誓いが、この「誓いの火」です。

カウントダウンのためのキャンドルを用意していた我々の所に、この火は予期せず運ばれてきました。そしてハルの判断で我々が運んできた火と合わせられました。広島原爆の残り火「こころ」は、ピースウォークと共に歩き、広島にて「平和の灯」と合わさり、長崎にて「誓いの火」と合わさりました。




12/31、ナガサキでの大晦日


2000.12/31〜2001.1/1のカウントダウンは、長崎・爆心地公園にて迎えました。31日夜、60名程のウォーカーは、20名程の沖縄の勇壮なエイサー太鼓隊共に、「平和の火」(この時点ではまだ、こころ+平和の灯)をキャンドルに灯し、長崎市内繁華街を浦上の爆心地公園までパレードしました。陸の灯ろう流しのような、美しい行進でした。

爆心地公園で、運んだ火は「誓いの火」と合わさりました。その火を2001本のキャンドルに灯し、新しい年、新しい世紀を集まった100名ほどで厳かに迎えました。そのキャンドル・ライトが美しかったこと! 中心碑を中心に、同心円にキャンドルを配置したのですが、火の一つ一つがコロシアム(円形劇場)に集う観客のようにも見えました。2001人のスピリットが我々と共に新年を迎え、共に祝ってくれていたように思えました。




12/31〜1/1、浦上天主堂でのカウントダウン

浦上天主堂には深夜11時半頃、3つの合わせ火となった「平和の火」を、僕、三枝子&もとや、信吾、以下7名で運びました。カウントダウンは礼拝堂の入口で500人ほどの信者さん達と共に迎え、その後、神父さん達と一緒に中に入って、信吾が代表して祭壇に火を運び、神父さんの手で大きなロウソクに点灯されました。この火は、祭壇の全てのキャンドルに灯され、ミサが終わった後も元日中灯され続けました(のはずです)。原爆投下時、浦上天主堂ではミサが行われており、多くの方がそのまま昇天されています。ここには有名な被爆したマリア像があります。木製なのに顔だけが火災から免れ、両目だけ黒く焦げてしまっています。神父さんはこのマリア像が原爆の火に55 年ぶりに対面していることを引き合いに出し、「憎しみを越え、愛をもって新しい時代を迎えましょう」という話をされました。
浦上天主堂にて。「こころ」のランプを運ぶしんご。

被曝した木製のマリア像