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WALKは政治的なデモ行進でも、長い遠足でもありません。WALKはスピリチュアルなもの、祈り歩くこと、日本語でいえば巡礼です。WALKとは何か?今回のWALKとは?を知るためのコーナーです。
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WALKの精神   WALKの中のコミュニケーション   WALKとインターネット
 
  WALKとインターネット

 
 
  今回のWALKには準備期間がほとんどありませんでした。

そもそも、トムさんがWALKをしたい、と心を決めたのは、「ひろしま2001」が2000年12月12日の祈りの集いのよびかけをインターネット上でしていたのを見つけたことが、そのはじまりでした。思えば、これがこんなページをつくってみよう、という思い立ったキモチにモトでもあります。

そのトムさんからの、メールでのWALK発願に応えた「ひろしま2001」がトムさんはじめ外国から来られている数名の行程上の宿の手配をしていたものの、歩くうちに増えるWALKERへの対応については、歩き出しの頃には白紙の状態でした。

出発前日、このWALKに参加または協力することになったメンバー(HAL、アキオなど主にTHE LONG WALK FOR BIGMOUNTAINの関係者)が、その翌日から歩くことになっていた「ひろしま2001」の代表である奈良先生とトムさんたちが宿泊している場所に集まり、ミーティングをし、WALKへのよびかけをし、各地での「お布施」スタイルのサポート体制をつくっていこう、ということになりました。

まず、そのミーティング当日、アキオからいのちのまつりのメーリングリスト(ML)への発信にはじまり、すぐにもっちーとヨハナのバーチャル事務局によるちらしとWebサイトづくりがはじまりました。あるきはじめが10/12、初版のちらしと持留デザイン事務所自前サーバでのWebサイトオープンが10/15。そしてその週のうちに、続々とサポートの環ができてきました。静岡のサポートをし、さらに長崎方面のコーティネートに入っている大池さん、小田原でのサポートにはじまり、WALKERとして広島まで歩くことになった島田啓介さん・・みんなインターネットを通じての関わりです。WALK隊と全国各地を飛び回っているさくらさん、関西のまむさんや岡野さん達のはたらきかけにより、10/17、神戸元気村がリアル事務局として名乗りをあげ、ちらしやWebサイト、MLでのよびかけ→サポートや参加について、元気村での電話対応→WALK隊へ携帯電話で連絡というラインができてきました。同日、長野県の大鹿村からはボブさんたちのブランチ・ウォークが「10/25浜岡に集まる日」に向けて出発。10/25には60名あまりの人が浜岡に集まりました。

さらに、一週間後の10/23からは[walk-ckosed]という、サポートとオーガナイズ専用のMLがオープン、細かい宿泊関係や伴走車、マスコミ対応のための細かい連絡が取りやすくなりました。

11月の初旬には、伴走車もサポートのボランティアが運転するようになり、「ひろしま2001」の好意でWALK本隊専用のパソコンの提供を受けることになりました。これにより、11/8頃から、WALK本隊との携帯電話経由でない、メールによる連絡や、WALK本隊によるWebサイトのチェックが可能となりました。

11/14-16、Webサイトのリニューアル、11/17公開に至りました。広島を終点とすれば残り一ヶ月をきったWALKですが、年末にかけて長崎までさらに歩く計画も 進んでおり、今後もこのWALKとインターネットのつながりは活用されていくことでしょう。

すべてあらかじめ決まっていたことではなく、自然発生的に起きてきた流れです。「二本の足で地面を踏みしめて歩く」リアルな行為であるWALKとバーチャルなインターネット空間とが緊密に結びついている。なんとも不思議ですが、お金をかけず人と人とのつながりのみをベースにした「草の根のネットワーク」によるアクションに、大きな役割を果たす道具になってきたことは、まぎれのない事実です。

こうした動きは1月のTHE LONG WALK FOR BIGMOUNTAIN(今回のサイトの先達、Webマスターよしだとものりさんによる充実したホームページとMLが活用されていました)の時からすでにありましたが、今回はさらに、今後もどんどんそうなっていくことでしょう。

電話、携帯電話、メール、ML、Webサイト・・・それぞれのコミュニケーション手段に特徴があり、一長一短があります。持っている人、持っていない人がいたり、時間や思いのすれ違いがあったり、はじめのうちは思わぬ失敗や試行錯誤がでるのも事実です。それらすべてを学びとして、成長しましょう。今後のために。

すべての基本は、生の声、実際の出会い。それさえしっかりおさえれば、うまく使っていける、そう思います。
PEACEWALKバーチャル事務局 ヨハナ

以下、島田啓介さんが、いのちのまつりのMLに流したいくつかの文章をつづり合わせてみました。みなさんも思ったこと、このページに載せたいことがあったら、info@otsukimi.netまで、是非メールをください!

 
 
 

●今、WALKにインターネットが使われている

今や時代はインターネットを軸に大きく変わろうとしているともいえます。WALKも、いわゆる「IT革命」と無縁ではありません。

今回の広島までのWALKには、トムさんを「ひろしま2001」の祈りの集いをインターネットを通じて知り、WALKを発願するに至った、といういきさつがあります。また、多くの参加メンバー、サポーターがインターネット上で情報を受け取り、集まってきたのも事実です。

WALKが出発してからも、連絡をとり情報を流すために、インターネットが使われています。そのひとつの現れとして、今も書いている文書がお手元にメールやホームページを通して送られているわけです。

コンピューターが対話や企画の流れを作っていく上で必要な道具となり、ある意味では迅速な対応をもたらしてくれているということはまぎれもない事実です。その恩恵を多く受けています。出版社でもマスコミでもない「ふつうの個人」が、(さほど)お金をかけずに自発的な情報発信をする自由を手にしたことは、評価されてしかるべきです。

そうした流れを無理に引き戻そうとしたり、過去のやり方にしがみついてばかりいては、こうした公共性の高い活動を担う際に、他の多くの人とのつながりの可能性を狭めたり、すでにこの変化を受け入れつつある社会の他の部分とのずれを大きくするばかりになりかねません。


●情報の洪水をおこさないように、おぼれないように・・

しかし、WALKERのひとりとして感じたことを述べさせていただくなら、こうした傾向に諸手を挙げて喜んでばかりはいられません。メールの普及は、一瞬一秒の速さで、自分の思考を多くの人に同時に飛ばす離れ業を可能にしましたが、かたや受け取った側がそれを自分の内にゆっくりと沈め、熟成させてから応える余裕をなかなか与えてくれません。

日々メールを書き流すことが、「情報の洪水」で受け取る側を溺れさせてしまうことにもなりかねない。また反対に、メールを受け取る側は、それぞれの発信者が、旅先で様々の用事に追われる合間を縫って、きゅうきゅうとしながらもかろうじて時間を見つけ、夜更けにパソコンの蓋を開き、疲れた頭脳を振り絞ってリポートを書いたり、またはWALKに寄せる想いをそれぞれの生活の中から発信したりといった、いろいろな条件下で書かれたものであることを覚えておく必要があると思うのです。これは、相手の情況を思いやる「想像力」にかかっていることだと思います。

しかし、逆に誤解がひとつ生じると、それを解くために短期間にかなりの回数のやりとりが必要になってきたり、誤解にさえ気づかずに話題ばかりが急速に進行していったり、「じっくり型」の人間を置き去りにして、フットワークのいい人間が進行を速めていったり、さらにコンピューターを持たない人たちがかやの外に置かれたりという、様々なギャップも生じさせかねません。

そしてこれらの「調整」のために、あまりにも多くのエネルギーが費やされ、はてはプロバイダーや電話会社のふところを肥やすことにしか結果しないのではないか、とぼくはこれが天然資源の枯渇した日本の経済回復のための窮余の策であるにしろ、あまりにもこれまでの大量消費型社会、余剰生産物(この場合は情報ですね)よりかかりの路線まっしぐらのあり方のように思えてなりません。


●なんでそんなに確認が必要なの?
  連絡過剰がクセになっている


また、WALKの参加者サポーター問わず、使用されている携帯電話も、呼び出し音が鳴るたびに皆がポケットを押さえて苦笑してしまうほど、頻繁化、日常化しています。

日々のWALKがひとつの目的地にたどりつくまでに、はたしてそれほどの回数の確認が必要なのか、また、何度もルートや行事予定のチェックをくり返す必要性がどれほどあるのか、疑問です。

むしろ祈りのサークルの場で誰かの携帯が急に鳴りだして沈黙を妨害したり(これは留守電モードにしておけばすむことです)、休憩や歩いているときや地元の人たちとの交流会の間にも、携帯による話声が聞こえることは(これもグループからすみやかに離れて話すなどのマナーが必要でしょう)、ひとつの歩みの流れにとっていいこととは思えません。行き過ぎた携帯電話使用は、かえって人間に備わった方向感覚や、人の情報に頼らず「オン・ザ・スポット」、現場で対処するたくましさを損なうものではないでしょうか。


●道具は使いよう

「一刻も待てない」「自分の内なる声でなく、外側の情報のほうばかりに聴覚が発達する」、悪い方向に行けば、インターネット使用や携帯の日常化に伴って、そういった傾向がますます拡大していくことは、少なくとも精神的な世界に多く自らの働きの意味を見い出している者にとっては、落とし罠になるのではないでしょうか。

道具があまりにも急速に発達していく時期には、人間の意識はその急激な変化には対応しきれないことを自覚する必要があります。自覚的に使えば、道具に人間が支配されることはないでしょう。それは、人が火を手にしたときから変わらぬ法則ではないでしょうか (原爆とは、人が火に支配されたもっとも悲惨な例でしょう。火は道具というより、自然の恩恵として、スピリットとして敬いを向けるべきものですが)。


●WALKの根幹はあくまでも歩き、祈ることにある

迅速な情報のやりとりや、話し合いや記者会見などもWALKの大切な一側面であり、それらをセッティングして下さる多くの方々の働きには頭が下がる思いです。ただ何がWALKの精神的根幹なのかを再確認してみたいという意味です。WALKERだけがこのWALKの中心ではなく、どんな関わりかたも同じく重要であり、「ともに歩く仲間」であることを申し上げておきます。その点では「歩く」も、「祈る」もその字義どおりであると同時に、もっと広い意味でも使っています

私自身ももちろん、このようにおしゃべりで言葉の多い人間として、また、コンピューターや携帯電話の恩恵を受けている者として、自戒の意味でこれを書いています。コンピューターを使うか使わないかというよりも、これは「コミュニケーション」一般に通じることだと思いますが、人に思いを伝えていくこととか、人の都合を考える想像力を培うこととか、そういったことすべての学びだと思います。 とくに変化の大きな時代には、その最中にありながらも慎重さをもって、何が起こりつつあるかを客観的に観察する眼を養うことが必要です。

(島田啓介、編集/ヨハナ)
 

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