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WALKは政治的なデモ行進でも、長い遠足でもありません。WALKはスピリチュアルなもの、祈り歩くこと、日本語でいえば巡礼です。WALKとは何か?今回のWALKとは?を知るためのコーナーです。
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  WALKの歴史

 
 
  WALKとは何か・・・ WALKとは、行進のことです。大地を一歩一歩踏みしめ、自己犠牲と祈りのうちに、何日も歩きます。WALKは英語ですが、アメリカの先住インディアンの人たちがヨーロッパから来た西洋人に征服された歴史の中から、生まれ、大地と調和して生きたい、という祈りを行動にあらわすために繰り返し行われてきました。その精神が受け継がれ、今、さまざまなWALKが起きています。原発のない世界を望む、先住民の権利を守る、などさまざまなWALKがありますが、WALKは政治運動の手段ではなく、ひとりひとりが2本の足で歩き、祈る「巡礼」なのです。

●涙の旅路


その背景には、19世紀にインディアンの多くの部族が、故郷から居留地へと追い立てられた過酷な歴史があります。彼らは「何もかも失っても、魂だけは奪われない」と、幌馬車に乗らず、徒歩で行進したといいます。
以下、チェロキーインディアンのこどもが主人公となっている本からの引用です。

・・・祖父母はぼくが過去を知ることを望んだ。昔を知らなければ、未来は開けてこない。 祖先の人たちがどこから来たのか知らなければ、これから人々がどこへ行こうしているかも分からない。 そういうわけで、昔の話をしばしば語ってくれた。 あるとき、連邦政府軍の兵士がやってきた。そして紙切れを示してサインをしろとせまる。その紙切れには、白人開拓者がこの土地に入ってくるが、けっしてチェロキーの土地を奪ったりしないと書かれているという。サインをすると、こんどは別の兵隊がやってきて言う、あの紙切れの条文は変更になったと。そして、新しい条約により、チェロキーは谷間の畑や家や山を明け渡して、連邦政府が用意した土地へ移らなければならないと告げる。日の沈む遠い土地、白人たちが見向きもしない土地へ行けというのだ。何日も何日もチェロキーを狩り集めると、政府軍はラバに幌馬車を引かせてきた。日の沈む土地まで乗っていってよいと言う。チェロキーの人たちはもはらすべてを奪い尽くされていた。だが、なにかを保ち続けていた。それは見ることも、着ることも、食べることもでいない、なにかだ。そして、だれひとり幌馬車に乗ろうとしなかった。歩くことを選んだのだ。前後左右を馬にのった兵士たちにともなわれ、一行は前方を見つめて歩いた。一行の後ろをからっぽの幌馬車がガタゴトとついてくる。土地も家も略奪されたけれど、チェロキーは魂を幌馬車に奪われることはなかった。行進中、命を失った人の数は全体の三分の一を超えた。死体を幌馬車に乗せよ、という命令が伝えられたが、チェロキーは拒んだ。小さな男の子は死んだ妹を、夫は死んだ妻を、息子は死んだ母を、母親は死んだ赤ん坊を運んだ。みんな、いとしい者の死体を両腕に抱き、歩き続けた。この行進は「涙の旅路」と呼ばれている。チェロキーが涙を流して泣いたわけではない。この言葉にはロマンチックな響きがあり、行進を道ばたでながめた人たちの悲しみを語るにはふさわしいかもしれない。だが、死の行進のどこにロマンチックなものがあるだろうか?


「リトル・トリー フォレスト・カーター著、和田たか男訳 めるくまーる社刊」


●THE LONGEST WALK


1978年、インディアンの人たちが彼らの伝統にのっとった生き方をする権利を奪う法律が可決されそうになったことがあります。それに対し、インディアン運動のリーダーで日本の仏教僧の非暴力平和運動にも影響を受けていたデニス・バンクスは「歩くしかない」と考え、聖なるパイプに先導されてアメリカ大陸を半年がかりで横断するTHE LONGEST WALKを提唱しました。  1956年、立川基地の拡張反対運動があった時、デニス・バンクスはアメリカ空軍の兵隊として基地で働いており、これを鎮圧する任務についていました。その時に日本山妙法寺の非暴力運動を目の当たりにしたことが、彼の転機となります。

以下、「聖なる魂 デニズバンクス・森田ゆり共著 朝日文庫」より引用

太鼓の音が聞こえてくる。ゆくりとしたテンポで一つのリズムを繰り返し繰り返し途絶えることなく打っている。なんだろうあの音は。私の耳は敏感にその音をとらえた。
インディアンの子供たちは太鼓の音とそれに合わせた唄を耳にしながら育つ。インディアンにとって太鼓の音は大地の心臓の鼓動である。 フェンスの外で黄色い衣をまとった仏教僧たちがうちわ太鼓をたたきながら止むことなく唱題し続けるのを見た。彼らのあとには何百何千の農民、学生、市民らが続いていた。雨の降り続く中を、僧侶たちは太鼓を打つ手と唱題をひとときたりとも止めずに、穏やかに平和的な抗議を続けるのみだった。
それは奇妙なシーンだった。フェンスの内側には私たち米軍兵士が完全武装で立ち並び、外側には、機動隊のバックアップを受けた日本の警官がずらりと並んでいる。その正面に僧たちはひたすら祈りながら座り込んでいた。突然、右の方で何か大きな騒ぎが起こった。警官らが混紡をふりかざしながらデモ隊に襲いかかったのだった。あたりに血が飛び散り、大きな混乱と騒ぎに発展した。フェンスの内側から私は、警官らが人々を殴打し続けるのを目撃した。仏教僧たちは打たれても殴られても決して殴り返そうとはしなかった。
どうして立ち上がり、反撃しないんだ。殴り返せ、そして逃げろ。逃げるんだ。 私には理解できなかった。(1956年10月、立川基地にて)


AIM(アメリカインディアン運動)は、政治運動である前に、精神(スピリチュアル)運動として急速に成長した。多くのインディアン、そして非インディアンがこの運動に加わった。それだけ多くの若者たちが精神のよりどころを失い、漂っていたのだ。
精神的であるということ、それは人間と人間が、人間と自然が、人間と母なる大地が、ひとつの環(サークル)となって互いのいのちを敬いつつ生きることに他ならない。インディアンは環の力を信じている。サークルは、地上に生きるすべてのものが、互いに深くつながり合っていのちを営んでいることの象徴である。それはどこまでも生を肯定する。だから私たちは、このいのちのつながりの環が切れることのないように祈りを捧げるのだ。このいのちの環の一部となって、他者を敬い、鳥を、木を、大地を敬うことが、精神性(スピリチュアリティー)の意味するところである。これがない社会は、それがアメリカであれ、ヨーロッパであれ、アジアであれ、アフリカであれ、決して正しく社会を運営し、導いていくことはできない。精神的な基盤のない社会に生きる人間は、ビジョンも方向も持つことはできない。AIMはなによりもまず、人々に精神性を取り戻させるために生まれ、活動してきたのである。(1984年12月、獄中にて)



●さまざまなWALK、今年のWALK

THE LONGEST WALKの精神を受け継いで、No Nukes(核はいらない)を祈り世界中を走り抜ける「SACRED RUN」(88年〜)や、環境破壊が進みつつある日本を縦断する「生存への行進」(79-80年、89-90年)などが行われました。

そして2000年。元旦には、強制移住させられようとしているネイティブ・アメリカンの人たちに祈りを届ける「The Long Walk for Big Mountain」が飛騨高山を出発し、聖地Big Mountainに向かいましたし、全国をひとりで歩いて「平和の火・こころ」を分灯している神戸元気村のバウさんこと山田和尚の動きも活発です。

そして、20世紀の最後にあたるこの年を締めくくる前に出発したのが、この「ひろしま2001 PEACE WALK」です。ひろしま2001 PEACE WALKは、原爆投下をはじめ、20世紀の人間が大地に対して犯したさまざまな過ちを反省し、自然との調和を手遅れにならないうちに取り戻し、次の世紀につなげていけるよう、日々祈りながら、歩いています。


●トムさんがカナダで行ったWALK


8年前の1992年、カナダの先住民が住んでいるところにダム建設の計画があり、今回のWALKの発願者でもあるトムさんは、それに反対するためのWALKをしたそうだ。非暴力という条件であれば応援する、ということで、日本山妙法寺の尼僧さんやHALさんたちも一緒に歩いていた。-30度にもなる極寒のケベック。白人たちが銃をもって「日本人たちを引き渡せ」と脅しにきた。長い話し合いの末、あくまで非暴力によって日本からのお客さんを護ろう、ということで、そこにいたインディアンたち(子供もいた)は小屋の外でみんな手をつなぎ、輪をつくって立ち、待つことにした。ついに白人たちも武器を置いて、双方4人ずつ代表を出して話し合うことになったということだ。
(塩田永、聞き書き)
 
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