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長良川Walk
nagaragawa walk
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1990年、長良川の河口堰建設をきっかけに始まったWALK、今年10年目を迎えます。河口堰は残念ながら95年から稼働していますが、いつの日か開くことを祈りながら、毎年歩くコースや季節を変えて、歩き続けています。
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4/29(みどりの日)長良川グリーンギャザリング
“むすんでひらいて”ロングレポート
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by
ハル |
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4/29(みどりの日)長良川グリーンギャザリング“むすんでひらいて”
第10回目のウォークが2日前無事にここ河口堰前に到着してこの日を迎えた。このギャザリング会場は河口堰に面した上流側、海にむかって左側の河川敷でここにはつめて座れば200人位は入る流木ドームが建っている。これは岡山から4t車満載で運んできた流木を一本づつバン線で縛り上げ組み立てた岡部玄さんの作品でもある。玄さんは初めの頃から何回か長良川を歩いており、今回、最後の行進ということでウォークに参加するかたわら長良川からもらったという数多くのギフトへのお返しにこのドームの制作を引き受けてくれた。来る途中なんと2回もパンクしながら到着し、翌朝よりウォーカー有志、ひようコマンたち6〜7名で、早朝から夕暮れまで丸5日がかりで完成させた。玄さん曰く“いままでで一番でかい”ドーム(見る人によって、マーボはおおさんしょううお、ケンゴはひょうたんと呼び名はさまざま)となった。
制作から2日目にはツアー中の梶田イフがやってきて29日には来れないからと一部組み上がったドームの中で歌を川に奉納してくれた。それに答えてくれるかのように、夕暮れ間際に5色ならぬ虹色の光雲が出現し、サイケデリックなドラゴンのような姿でこのウォークと集いを祝福してくれた。
最初、10回目のウォークの終りに1日集いを持ちたいと思った時、まっさきにこの玄さんの流木インスタレーションが頭に浮かんだ。それは河口堰というすべてにおいて自然に反する人間の思い上がりのシンボルの前に出現する、それとは正反対のもの。これも人の手で造り上げるが、自然と一体となり調和する、例えば鳥やビーバーの巣のような、もしくはスウェットロッヂやサンダンスロッヂのような母なる大地を表すもの、またはその子宮のようなものとなるだろう。
そんなマザーアースのシンボルが人口きのこの並ぶ河口ダムの真ん前に現われる。そして周りをティピやパオがとり囲む。そうなれば声高にそれを叫ばなくてもこの光景だけでじゅうぶん見る人に何かを語りかけるだろう。
そう想ったことが現実となった。
このギャザリングにさきがけて2週間前からひょうこま(埼玉県日高市の高麗 (コマ) 川にて3週間キャンプinしながら“生活”するスーパーナチュラルギャザリング。今年から全国キャラバンの予定。詳しくはここ)のケンゴたちがティピやパオを建ててこの場所で生活しながらウォークの到着を待っていてくれた。天空オーケストラの岡野君は当日(29日)は四国吉野川でのライブ出演にも関わらず、長崎諫早、東京でのアースデイイベントの合間を縫って彼のアートインスタレーションである風鈴(特別鋳造で5音階を奏でる)を数百個持って来て、流木ドームに吊しこの場に風のスピリットを加えてくれた。そして去年のいのちの祭りで風のパン屋のケンちゃんたちと松本の鉢伏山から原爆の残り火をウォークで運んだ春のうららさんがそのときに使った五色の布の幟をここでもたててくれ、岡野君も虹のまつりで各地を飾ったレインボウフラッグをティピやテントの間に架けてくれた。
またちょうど前日まで岐阜、伊自良村美術館で行われていた、いのちのよろこび展からもローリンたちが色とりどりの絞り染めやアートオブジェを持って来てくれた。
ウォーカーや参加者たちのカラフルなテントがドームの北側、国道1号線との間に立ち並び、ティピは合計7つドームを囲むようにたった。ビッグマウンテンや広島、長崎まで歩き、また各地のまつり会場にかかげられた地球と虹色の旗がそれぞれ竹のポールの先で風になびき、カオリコが作ったパッチワークのサツキマスのぼりがアンティークの古い鯉のぼりと一緒に長良川の空を泳いでいる。そして“水をつなぐ”“つなぎ合わされた虹の輪を”“僕たちを夢見ているゆめがある”と若き天才書道家山田麻子が書き上げた3本の大幟が力強くはためき立っている。ミツル君が風力発電用のかわいいペイントが施された風車をたて、南兵衛が東京からソーラーパネル&サウンドシステムを持って駆けつけて一切の電気を自然からのいただきものでまかなうよう設置した。
殺風景な埋め立て河川敷はみるみるやまんば、かっぱ達の集う虹の村へと相成った。
28日夜の前夜祭ではリハーサルも兼ねてボブ、マーボ、ジミー、コマっちゃんによる幻のバンド!?バルナギータが流木ドームの中演奏した。巨大な流木の巣の中より見上げる空には半月がかかり、約100個の風鈴が大草原の虫の音のような音を奏で、春のうららのアートインスタレーション、猫カン灯明(キャットフードの空きカンをインターネット、新聞などで呼びかけ集めたものにソバ屋さんなどから使用済の天ぷら油を分けてもらい灯明にしたもの)が灯された。その夜からここは聖なる地球の集いとなった。
もちろんアーティストだけがこの場を特別なものにしたのではない。2週間を川と向き合いながら一歩一歩を捧げたウォーカーたちの想い。それは10年以上にわたり歩くことをこの川への祈りとした多くの人たちのくり返しつないできた想い、であり、高麗川水系代表ひょうコマンたちや、全国から地元の川の水を持ってやってきた各水系の住人たちの熱き想い、その祈りの集結であり、そしてスピリットとなって長良川と一体となったケンちゃんのその願いの顕現の場でもあったからだと思う。
それを象徴するかのように日本海、太平洋で拾い集められた流木の数々はかつての山や森の代表であり、流れ下った川の記憶とともに海を旅して流れついた“水をつなぐ”べくやってきた.各水系の代表でもある。大小に関わらずそれぞれが仙人のような風格を備えた聖老人たち。なかにはひょっとしたら海の向こうから流れ着いた強者もいるかもしれない。それが一堂に会してせき止められ、瀕死の姿をさらす長良川に大集結した。言うならばもののけ姫の物語。もちろんこの会場を作り上げた皆の想いも加わってこの夜を迎えた。この晩ももちろんこの日までお酒を断ってこの川と共に過ごしてきた面々。
でもじゅうぶん皆、この夜に酔っていた。
翌29日、ギャザリング本番の日は朝から雲がたれ込める天気で、予報によるとなんとか夕方まではもつとのこと。日頃の活動アピールにネットワーク地球村、中部地区の人たちが大勢で来てくれ、また神戸元気村、オープンジャパンのバウさんこと山田和尚御一行、日の出の森の現状報告にピースウォーク以降この長良川行進の情報をネットで発信してくれているヨナハとモッチーも匠をつれて東京から来てくれた。東海地震による大事故が懸念される浜岡原発のマンスリー・ウォークの事務局から飯野さんがコーナーの準備を、同じテントではビッグマウンテン・ウォーク、広島・長崎ピースウォークの写真展の準備もそれぞれ進んでいる
(以上、全てここで見れます)。
クラフトブースには陶器や服、アクセサリー、絵や書の展示、ひょうたん楽器やジェンベ、カリンバ……などそれぞれ個性的で地球的なハンドメイドが並び始めた。
ナンヤのカンちゃん始め、カレー、チャイ、抹茶……などフード&ドリンクショップもオープンした。本部テントではサポートグッズと共に今日から解禁となったセレブレーション用のお神酒?お神ビールを売って経費の回収に努めるBarに変身した。
万全?整ったところで10時より幕開け、セレモニーの始まり。僕とアキオ、ナガイたちで各ウォークで馴染み (?) となったインディアンの祈りの唄を歌いはじめる。流木ドームの中央に昨年東京から広島・長崎までピースウォークで運び、新世紀明けて九州星野村より長良川までスイッちゃん、カカム、カトーの3人が歩いて運び、そしてこのウォークで上流からここまで再び運ばれた原爆の残り火がこの集いの中っ火(セントラルファイアー)として置かれた。そして全員で河口堰を正面に見て座り、一時を捧げた。その中で3人は星野村からこの長良川まで、歩いて渡るたびに祈りを捧げその名を記した三百幾つかのさまざまな川の名前をお経のように唱読し最後に河口に向かって礼拝した。それからこのウォークのために焼いた粘土玉(竹炭を砕いた粉と竹酢液等を混ぜて炭窯で焼いた水や場を浄化するというレンガ玉)をそれぞれ一つづつ持ってヘドロで汚れた河口に投げ入れた。そしてスタート地点の源流でもやった各地の川から持ち寄った水を長良川にそそぐ水合わせを同時に行なった。
これらの行為や粘土玉が川を浄化し蘇らすかどうかは、だれにもわからない。しかし源流のあの清らかなそのまま口をつけて飲める水の末路をやりきれない想いで眺め、かつての生き物の宝庫、いまやしじみが全滅しアユが激減した清流が、再びいのち行き交う川に戻るよう願いを込め水をそそぎ玉を投げ入れた、そんな皆の想いはきっとこの川の神様にまで届いたことだろう。
そんな僕たち流のセレモニーが一通り終了し、それぞれミュージシャンによる奉納の演奏が始まった。クルスの歌を皮切りに、ひようこまかあちゃんテツが続く。
そのあとバルナギータが始まった頃、予報よりだいぶ早目に雨が降り始めた。ソーラーは、充電は無理だけどバッテリーはフルチャージで来ているのでなんとか大丈夫だと南兵衛は言う。皆でドームによじ登りブルーシートを架けてゆく。せっかくの空が見える解放的な空間は人口色のブルーに変わったけれど、このドームのおかげでなんとか中止せずに済んだ。そして雨が本降りになってきて外にいた人たちもドームの中に集まってきた。
そんな頃、この行進の最初からの参加者であり、堰が出来ても出来なくてもとにかく10年歩いてみようと言い出した張本人、歩くこと、旅することの大先達、我らが長老、ナナオサカキの詩の朗読が始まった。今回ウォークのプレイベントの時と源流スタートの時はナーガ
(長沢哲夫) が詩をよんでくれ、最後はナナオ。この2人の長老詩人の登場は僕たちだけではなく、もっと若い10代、20代の参加者たちへの良き贈り物となったことだろう。
ここ1年余りの内に起きた数々のウォークを通じて思ったことの1つ。参加し、交流する世代が巾広くそして確かさを増してつながってきたことがとてもうれしい。
ゲイリー・スナイダーの本の中にも語られていた、長老なきところ、同世代だけのなかでは文化は育たないという意味がいまは良く理解出来る。知恵の保持者である長老たちが、次の世代または若者に生き方を見せる場があることの大事さ。これらさまざまなウォークやギャザリングを通じてもう1つの文化が着実に育ってゆく。それは、もう1つのコミュニティと言い換えてもいいだろう。
何かが確実に始まっている。このウォークを通じて、そしてこの日もドームのなか、そんな空気が満ち溢れていた。
ナナオの朗読のあとは、次なる世代でこのウォークを最初から作ってきたマーボ、水野君、聖花さん、そして途中より引き継いだケイちゃん、ミツル君がそれぞれ一言づつこの10回の歩きの想いを述べた。
その中で、マーボと水野君がいまだから語れるという感じで“おれたち疲れちゃったんだろうね”と言った冗談まじりの一言が心に残った。丁度リーダー役から離れた時期が河口堰完成、運転開始と重なっていたのかな? いろんな出来事とタイミングが。でもそこからケイちゃんが引き継いでそれらのことの後始末を引き受けながら「あるきながら」と名を変えてここまでつないでくれたのはご苦労様、と同時にありがたいことだと改めて思った。時代的にも男性型競争社会のさまざまなツケが噴き出してきて女性社会、母系社会への回帰が叫ばれている時期にそんな女本来の持つ慈しみ育む力が発揮されたような、世話役としてベースキャンプでもくもくとご飯を炊くケイちゃんを見ていてそう思った。男の始末は女がつける、そこで問題が消えてゆく!?
10回目のウォークが一つの結びを迎える日に降り出した雨は、すべては水に流してくれる天のサイ配か、それとも水をつなぐ龍神のはからいか?
その雨とバランスをとるように流木ドームの中ほどでは玄さん自ら火を焚いて冷えてきた皆の身体を暖めてくれた。
続いて「長良川河口堰のゲートが上げられる日は必ずくる」と大見出しをつけた本 (サツキマスが還る日、山と渓谷社) を出版した地元津に住むジャーナリストで、第1回目のやまんば、かっぱ行進にも参加していた横山尚己さんがこの日も取材を兼ねて来てくれて、少しの時間いまの長良川の現状を語ってくれた。堰が出来て以降、三重と愛知の一部地域に供給する飲料水が使用者である住民の同意を得ないまま木曽川から長良川河口堰付近へと取水場所が変更した。それは、セキ止められ生物が激減し、ヘドロがたまった場所からの取水であり、もちろん味は不味くなり、発ガンその他発病の危険性のある物質が混ざる、なかでも感染すれば死にいたることもある原虫を完全に駆除出来ない水が飲料水として蛇口から出ている。そして、おまけに水道料金も高くなったと横山さんは指摘する。そのため僕たちもこの場所では生水を飲まないよう注意したが、その水を毎日飲まされている知多半島、常滑の市議、杉江さんがその現状を続いて話された。そして当初より反対運動に積極的に関わり、それをかかげて地元長島町の町議となった、長島河口堰を考える会の大森恵さんがここにいる僕たちがいま何をなすべきか、何が出来るかということを熱く檄をとばし語った。
その後、再び知多半島、美浜町のヨットマンで地元里山保全の活動をしている伊藤さんが、自分たちが毎日出す生活排水の視点からそれを浄化する装置について話をされた。スピーチの後、もう一度ライブの時間となり、名古屋、ジャズマタンゴのレゲエ・ミュージックが強さを増した雨で冷えてきた場を溶かしてくれ、第1回行進のあと行われたコンサートにも出演した北カルフォルニアから8年ぶりに帰ってきた大森カズ&吉本ユリさんもその美しいハーモニーで皆の心を暖めてくれた。次のミュージシャンがセッティングしている合間に、それぞれの問題や活動をアピールするスピーチが加わった。全国各地のさまざまな長良川問題やさまざまなビッグマウンテン問題を訴える仲間たち。
ネットワーク地球村から、日常生活に要るものを買うときに環境や人権を意識して選択するグリーンコンシューマーになりましょうという呼びかけと地球市民国連の実現への協力理解について地球村の美しい主婦たちがパンフを配りながら呼びかけた。神戸元気村・オープンジャパンのバウさんはこの原爆の残り火を今年は朝鮮半島へ運ぶ意向があることと、カンボジア地雷撤去のプロジェクトへの決意が述べられた。
そんな今、僕たちが生きる時代のリアリティを改めて心に刻む時の合間に肉体派詩人藤條虫丸がイギリスの女性舞踏家と共に尺八、パーカッションに合わせて流木ドームの中を踊り舞った。
いつの間にか原爆の残り火から点火された、川への鎮魂、平和への祈りの灯明がドームはもちろん会場のあちらこちらに灯されて、この降りしきる雨や吹く風にも消えない希望の象徴のような光となって美しく長良川の夜を照らしていった。カオルさんの優しいシンセサイザーが続き、熊谷門ちゃんが久々のなごみの唄をたっぷりと聴かせてくれた。「あー、宇宙のだいじょうぶ」とみんなで輪唱したころ、本当にこの宇宙偏ねく一切のものはだいじょうぶと大安心の境地へ連れて行かれそうになった瞬間、河口堰のシルエットが目に入りこの足下にある未解決な諸問題を思い出し、この地上の現実へと呼び戻された。
そして日の出の森のことをヨハナのほうから語ってもらい、強制収容されている日の出トラストのシンボル、風の塔を再びどこか良い場所を探し、みんなが集まれる場のシンボルとしようと呼びかけた。風の塔も日の出の森と美しく調和していたもんね。
続いて、日の出のことを音楽を通じて訴え続けている下村誠さんがその熱き想いを雨に向かって歌ってくれた。
今回このウォークは、アースデイの一環として諫早や各地のアースデイ関連イベントと連動しながら始まった。それをもう一度確認する意味でも去る4/22、10万人が参加したアースデイ2001東京の事務局をつとめた河内アキオがそのことの意義と緊急な問題であるエネルギー基本法とそれに絡んだ山口県上関原発建設について、その現状とサポート要請を皆んなに呼びかけ、この日のスピーチを締めくくった。
今、思い返してみても多様で盛りだくさんな内容が一堂に集まったギャザリングであったけれど、それだけ長良川に代表されるいのちと自然を脅かす数多くの問題は解決されるどころか次から次へと現われて、この日語られ、呼びかけられた事柄はこの国でさえほんの一部少数の例にしかすぎないということを改めて思い知った。
まさしく僕たちの生きるこの時代のいまと未来にはこれらのことがビッグマウンテンのように高く積まれ、河口堰のようにセキ止められ濁り澱みいまにも溢れかえらんとしている。もう目をそむけても、目をふさいでも決してそれらから逃げてはいられない。ましてや無関心では到底いられる時ではない。そのことが確認できた雨の長良川での一日だった。
エンディングには18才の聖夜がピースウォークでお馴染みとなった数曲を元気よく歌い上げ、最後まで残っていた数十人の大声援を受け、師匠格のボブがそれに続いた。最後は全員で第1回目からのテーマソング、やまんば、かっぱ川の民の歌を延々大合唱し、10回にわたる行進と10時間にわたるこのギャザリングの終わりを飾った。
最後にボブさんは、これで終わりとするのではなく、これからも繰り返し繰り返されつながっていくものである。だからあきらめず、この川が蘇みがえるまで続けていくことが祈りであり、祈りある行いを通じて僕たち自身がそれにより清められてゆく。そしてこのつながりをとぎれず続けてゆくことこそが、海が蘇えり、山が川が生き返ることと同時なのだと。だから、その日まで歩き続けよう、そしてまた集まろう、と締めくくった。
この世界全ては僕たちの心の現れだとしたら、まず僕たちの心のなかに築かれたダムを開きとり除こう。そうすれば、また再び母なる川のダムは開かれ母なる海よりいのちが再び還ってくる。
そのめぐり、循環こそが本来であり自然なのだ。オール マイ リレーションズ。
すべてがつながりあい生き生かされている。この何度も聞いたこの言葉をもう一度心と身体に深く刻みこもう。それが確認できる場を持とう。規模の差は問題ではなく、その質を問い深めよう。絶やすことなくあらゆる場所で、仲間を増やし、いのちの集い、虹の集いを営もう。
僕たちを一つに結びつけてくれた雨に感謝、その回りに輪をもたらせてくれた火に感謝、美しい音を奏でてくれた風に感謝、そしてこんなに傷ついてもまだ僕たちを優しく受け入れてくれる大地に、この母なる長良川に心から感謝を捧げます。
最後にこのウォークとギャザリングに関わってくれたすべての人にありがとう!
また、会いましょう!
STAY TOGATHER , LEARN THE FLOWERS , GO LIGHT !
WALK IN BEAUTY
ハ ル
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