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上関
kaminoseki
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1月6日、上関町祝島に「平和の火」を持って訪問 1月6日、上関町祝島に「平和の火」を持って訪問しました。ウォーク中の12月23日付けで、「上関原発予定地で、平和の火に集おう!」と呼び掛けましたが、その日程や受け入れについて、地元山口の源の助さん(1990年「いのちのまつり・大山」の呼びかけ人)が動いていたものの、残念ながら現段階では見送ることになりました。最大の理由は、19年間もの間、根強く反対運動を続けている祝島で、分灯の話を進めていたのですが、結局は受け入れまでに至らなかったためです。(お寺でもない限り、火を永久保存するとは大変なことです。) 源の助さんは、「近いうちに集まらなくてはいけない日が必ず来るから、その時、是非集まってほしい。」と言っていました。とはいうものの、素通りするつもりなどない我々は、源の助さんと共に祝島に渡り、一泊してきました。おかげで漁協の方からは、いろんな話をじっくりと伺えました。とても興味深い話ばかりでした。この内容については、後日HPに詳しく掲出します。 島民730人、平均年齢70歳の島は、頑固に反原発でした。現金収入を求めて20年前原発で労働し、被爆した島民が何名かいるからです。身をもってその危険性を知っている人達でした。漁業補償として、漁業組合員100人に対して10億円の提示もあったそうですが、きっぱり断ったそうです。大きな漁船を買って借金を抱えていない島です。だから数日シケになっても不安じゃないそうです。年寄りも月数万円の僅かな年金で、充分楽に暮らしているそうです。底引き網でガリガリと海底まで全てをさらってゆく漁ではなく、釣り船客が相手の漁で主な生計を立てている島です。自然から搾取しすぎないよう気をつけて、末長く海とつきあっている島です。上関町からはあらゆる援助を打ち切られているそうですが、ビワの栽培をはじめ、島を経済的にも自立させようと努力している、働き者のお年寄りの島でした。収入は多くないけど、出るお金が少ないので、豊かにゆとりをもって暮らしてゆけるのだそうです。昔は日本中がそうだったように、自給率の高い、質素で豊かな暮らしぶりの、昔ながらの島でした。自然に従って生きている島でした。 高収入だけど高支出、たくさんの借金とたくさんのゴミを抱える今の日本の暮らしぶりよりは、はるかに魅力的な暮らしぶりに見えました。21世紀が目指すべき永続可能な社会は、やはり古きを尋ねることにあると思いました。 |
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