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合田成男(舞踊評論)

からだの扉 舞踏譜の言葉
あなたはあなたの体をどう見るのか、ということを気づかせるための方法が舞踏譜である。舞踏譜の不思議な言葉は、それを読む人を、今ここで普通に歩いたり話したりしているレベルからすーっと降りたところの身体のイマジネーションの世界へと連れていく。舞踏譜の言葉とテクニックとの間を身体に行き来させる時間こそが大事。言葉から導き出される答としてのテクニックをなぞるのでは、舞踏譜が存在する意味はない。かえって逆効果だとさえ言える。理解したと思った瞬間に、言葉とテクニックの間を行き来する、「主体」がなくなってしまうからだ。
今のダンスのにはそうした「主体」がなくなっている。「プロセスが踊りなんだ」というと、プロセスまでをも「教えて」しまうことになって足元をすくわれかねない。プロセスを主体のものとして獲得させることこそが大事だ。いろいろな形で体の扉をあけていく。そういうものをイメージさせ、知覚させ、身体を広げたり、しぼませたりするための、言葉はひとつの踏み台となるのだ。土方のセンスをそのまま引き継ぐよりも、自分の生と向かい合い、自分の身体に入れ込む理解に時間をかけること、その時間が必要。それができていれば、できた体に向かって風はこう吹いていて、光はこっちから来ていて、といえばそれを全部きっちりと自分で割り出していけるようになる。振り付けるということがいらなくなるかもしれない。土方はそんなことを夢想していたんではないか、そういうことを何とか伝えようとしたのが舞踏譜ではないか。



引く身体、吸収する身体
体は出していくものでなく、引くものという考えが土方にはある。1970年に、土方が燔犠大踏鑑ということを言った。あぶりものにされた犠牲体。あぶりものにされたものの表面はチャコール。炭は真っ黒で、全部の光を吸収している。木炭の吸収する黒には、見ているとその黒さの向こうに吸い込まれていくような行き場所がある。そのことが美しい。吸収するものは美しい。引いていくそれを体の中に容量としてもっている美しさ。ひとびとに見られる形、皮膚感をもった木炭。引く、吸収するばっかりというのが大きな立派な舞踏の鑑である。表現として出てくるのは、結果として人々に見えることであって、自分の方から表現するものではない。吸収することに徹する。素材であると同時に主体であるような存在がそこにはある。
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